治療師になって、20代、30代の頃は
良く本屋に行って、何か治療のヒントになるような
ものはないかと探しに行ったものだ。

神田神保町は私の大好きな街であった。

そこの古本屋さんにはだいたい何の本が
置いてあるかも知っていたものである。

残念ながら、この10年くらいは
ほとんど行けていないけど。

今見たらどうしようもない治療法でも、
何かのヒントになるかと思って手に入れたものである。

今は大変便利な世の中で、
インターネットで簡単に購入できる。

大変に羨ましい限りであるが、
私はそれが良いことであるとは全く思わない。

私が若いころに勉強していた時よりも、
はるかに多くの、そして素晴らしい情報が
手に入りやすいことで、そのありがたさを
感じることがなく、真剣に勉強もしない。

だからその中に光るものがあってもつかみ取れない。

セミナーも、そこが難しかったり、気に入らなければ、
他所で勉強すればよいと考える。

自分のできないことに、「なぜ?」「どうすればよいか」を
追求せずに逃げてしまう。

そんなことだから真の治療者が生まれない。

辛くても、食いついていくぐらいの気持ちが
いま手技を勉強している人たちの多くには無い!

なぜ(その人にとって)一生懸命に努力し、
お金をかけて勉強しても治せないのか?

と思い、自分の悪いことを反省せず、
教えてもらっていることに非難の気持ちを
持つという感じが多いと思う。

なぜそんなことを私が言えるのか?

私自身、何十年も学んできたし、
教えてもきたからである。

今の若者がすべてダメと言っているのではない。
一般的傾向としてそうだと言っている。

それは一般社会や会社においても同様らしい。

私は特に今の時代は「治療家」が育ちにくい
時代であると言っている。

「治療者」や「治療師」はごまんと増えていてもだ。

私は過去何度も多くの考えや哲学を述べてきた。

はっきり言って、努力できない治療者が多すぎる。

「いえ、先生が知らないだけで、私は頑張っています」
というかもしれない。

しかし、やっていることを見て考えを聞いたら、
私から見たら大甘ちゃんだろう。

一時はこんな治療の世界はダメだと思い、
私一人で、または少数の仲間と一緒に、
孤高の道を歩めばよいと思っていた。

しかし、震災はくるわ、コロナはくるわで、
多くの人が苦しみ、大変になっているのに、
私一人では何もできない。

少しでも多くの共鳴者を見つけ、
伝えるべきを伝えなければと感じている。

先日、一般向けライブ配信を行ったのも、
そのような気持ちからである。

芯の治療家を目指して頑張れる人には
伝えていけたらと思っている。

少しづつではあるがブログ上でも
オステオパシーやワールドセラピーシステムについて
述べていきたいと思う。

そして、少しづつでもセミナーを再開したいと思う。

「真の治療家を世の中に一人でも多く」である。